Monday, January 29, 2007

冬のプロジェクト

この時期恒例、冬のプロジェクト遂行中。





一緒に盛り上がってくれる人が少なく寂しいですけどね。
「毛糸をいくら買えば気が済むのだ」と、もう1人の自分は怒りますけどね。
でも、好きなので仕方ありません。
それが趣味ってモノです。
おばあちゃんみたいですが、いいんです。
こうなったらロッキンチェアーにだって座ります。

今年はカギ編みに挑戦しています。
針2本の編み物よりも細かい模様がつくれて楽しいです。

早速小さいバッグと帽子を作ってみました。

Saturday, January 27, 2007

太陽、のち雪

前日はモフォンゴの後、ここ数日行動を共にしている同じクラスメートの日本人の方とサルサバーへ出掛けました。プエルトリコのリッツ・カールトンホテル側の「Shots」というバーです。学校の先生曰く「少々の腕前で出かけると自信を失うハメになるダンスホール」。私のサルサは前後に足を動かせるという程度ものなので「少々の腕前以下」に値します。相手の方が指導熱に燃えていないとお相手できないので、もともと踊る気はなく、ライブ音楽目当てで出掛けました。

しかしお仕事を2週間休んで東京から来たというクラスメートの腕はプロ並み。腕組みしてどの人が上手かを見極めたのち、1曲終わると相手を申し込みます。そしてあっという間にショッツのホール真ん中でクルクルと優雅にセクシーに踊り、周囲のプエルトリケーニョをざわつかせました。すごいぞ、もえちゃん。

いつものヒメネス記者が別れを告げに駆けつけて下さり、我々は美しい彼女を鑑賞しつつ野球の話で盛り上がりました。「オラ、アベ!」「ケパソ、ヒメネス!」とすっかり名字呼び捨ての仲です(いいのか?)。球場では会った事がない選手に私を紹介して下さったり、アレシーボの”オッサン”がうっとうしすぎる時には仲介に入って下さったり(苦笑)、この方にはホントお世話になりました。この恩返しは必ずや致しますです。

そんなヒメネス記者からニックネームを頂きました。

アムレト。

「名前が分からない選手達が君をそう呼んでいた。会う機会があったらアムレトによろしくと言われていた」とのこと。そうですか。アマレットみたいですが、意味はなんですか?やはり酒か何かなので?

馬蹄。

*ええと、せんえつながら説明をすると馬蹄には「幸運のお守り」という意味があります。

自分がそうだとは思えませんが、選手=勝負師の方々にそう呼んで頂けて嬉しい限りです。今後「プエルトリコ」という単語から私がいちばんに思いつく言葉は「ありがとうございます」以外にないんじゃないかと思われます。

・・・と、そんな昨晩の思い出を胸に、今朝は寝不足のままカルメンに別れを告げ、機内爆睡。雪のシカゴへはあっという間でした。目の前は数時間前まで太陽さんさんのプエルトリコにいたのが信じられない冬景色。しかし久々の我が家は思った以上に奇麗に片付いており、健康な植物たちに迎えてもらいました。新しいルーミーの2人がマメで奇麗好きな証拠です。ありがたい。カルメンが恋しくなったのか、自宅にホッとしたのか、重いスーツケースを置いた途端、勝手に泣いてました。

が、そんな余韻に浸る間もなく、荷物を置いて即ダウンタウンへゴー!です。

ホワイトソックスのファン感謝祭があり、取材のために戻ってきたのでした。顔を洗い、服を着替え、極寒のダウンタウンへ。懐かしい顔を見にいってきまーす。

Friday, January 26, 2007

ファイナル・ファイナル

昨日からの停電が修復せず、課外授業が続きました。今日は午前中からオールド・サンファン。スクエアで新しいクラスメートの方と先生と3人で広場のベンチに腰を下ろし、これまで習った部分の最終的なおさらいをしました。今週の先生はクラス数拡大に伴い新しく入った方。教えるのが嬉しそうです。「君たち、オールド・サンファンには来た事あるかな?」

いや、明け方までこの辺のバーでサルサ踊ってたんスよねぇ・・・

なんて言うと夢を壊しそうなので、日本人得意の「えへへ!」で、笑ってごまかしました。

さて今日は学校後、寄り道せず帰宅するとカルメンに約束していました。郷土料理の代表作、モフォンゴを食べる為です。

モフォンゴとは、揚げたプランテーンをニンニクと一緒につぶした、マッシュ・ポテトならぬマッシュ・プランテーン。作り置きができないため、私が台所にいる時に作らねばならぬ、ということで、お手伝いを約束していました。

「プランテーンで作るのが主流。でも私はギネオを使う方が好きなのよね。プランテーンより柔らかいのよ」と裏庭へ。ギネオとはバナナのことですが、まだ緑色のままのバナナを“刈り取り”、調理に使いました。





裏庭でバナナ切って、台所のフライパンに放り込むなんて・・・気候が年中かわらないのでバナナが採れ放題です。”花”というか、こんな状態↑のバナナ、初めて見ました。

いいなぁ、そんなフードライフ。さすがにバナナとまでは言いませんが、自宅台所裏にガーデンでもあったらいいだろうなぁー、いいなぁー、いいなぁー。

・・・いいなぁー・・・

(しつこいですね、すみません)。

緑色のバナナは皮を剥くのも大変です。店頭に並ぶバナナほど熟していないので皮がセロリ並に硬く、ナイフを使いました。バナナ自体も輪切りにするとサクサク音がします。驚きました。この段階では生で食べられず、油で揚げる以外にゆでたりして使うそうです。

周囲が揚がったら一度つぶして再び油の中へ。モフォンゴ専用の鉢で、ニンニクと一緒につぶし、塩で味付けして出来上がりです。知らずに食べたらバナナだとは分かりません。








サクサク&ホクホクのできたてモフォンゴ。カルメンどうもありがとうございました。チキンやハンバーガーなど、何かの付け合わせとして出てくるのですが、存在はメイン並み。お店だと「モフォンゴと一緒に何を注文しますか?」という聞き方をされます。今晩はあっさりしたシーフード・リゾットと一緒に頂きました。もしかして私が毎晩食後ひたすら公園にジョギングに出掛けていたのを気にしたのかなぁ・・・。はい、ジムが見つからなかったので走りましたよ、近所の公園。無駄なあがきだとは分かっているんですけどね。

明日早朝には常夏のプエルトリコを発ち、正午には真冬のシカゴに降ります。別れは辛いですが、そろそろアパートが恋しくなりました。後ろ髪を引かれつつ、諸々の達成感も覚え、スッキリした気分です。

Thursday, January 25, 2007

ラルガ・ノーチェ

メルカドとは市場のことです。学校から車で5分の場所に市場があったなんて。ケガの功名とはまさにこのこと。

昼の休憩を挟んで学校に戻ってくると、建物が停電してました。教室が暗すぎるので急遽メルカドまで“課外授業”へ。学校から車で5分の場所にそんな楽しい場所があったなんて。帰る前にのぞけてよかったです。



地図の位置関係などを習っていた事もあり、「肉屋はコンビニの隣にあります」だとか「駐車場は市場の前にあります」などと言いながらメルカド内を散策しました。



しかし、見た事ない野菜や果物が多い。暇そう・・・いえ“親切そう”なお店の人に、知らない野菜を指差し「私はスペイン語を習っています。これはなんですか?」と名前を教えてもらいました。そしたら「食べてみてごらん」と買いもしない我々のために果物を沢山切ってくれました(涙)。「暇そう」だなんて思ってごめんなさい。



アボガドやマンゴーが大きいのにビックリです。





サトウキビやプランテーン、ココナツ、アロエ・・・



メルカド隅っこにあったジュース屋で先生はココナツジュースを注文、私ともう一人のクラスメートは2人でパパイヤ&ピニャ(パイナップル)シェークをシェア。シナモンが入った大人の味でした。

先生が一言。「あぁ、その飲み物は夜注文するとラムが入ってるんだよ」

ますます大人の味で、よさそうなことで。

ところで今日は盛りだくさんのスケジュールでした。

学校の後野球。その後、新しいクラスメートの方と夜のオールド・サンファンを散策しました。やっと気の合うクラスメートが現れてくれました。時間的に厳しいですが、もう明後日には去ってしまうのですから無理もします。

試合を見ながら、そういや、と「スペイン語で言ってみたい言葉があるので教えてほしい」と記者の人に質問しました。笑いながら教えてもらったのは:

バ・ア・セール・ウナ・ラルガ・ノーチェ
=今日は長い夜になりそうだ。

ホントその通りでした。

Wednesday, January 24, 2007

スモ・デ・ナランハ、その2

ジュースを意味する「スモ」という単語を使う場合は絞り立て100パーセントの場合のみだとか。

さて今日の試合前、カロリーナのリベラ監督がリンゴのような果物を食べてました。が、よく見るとリンゴのように皮を剥かれたオレンジ。

・ ・・な、なに食べてんですか?

「これがおいしいんだよ」。

皮が厚いオレンジだからできる技。黄色い皮をクルクルとナイフでむき、上部を切って“飲み口”を作ります。丸いコップのようになったオレンジを揉んで揉んで、飲む。みかん王国で育ったはずの私も「ザ・スモ・デ・ナランハ」は見た事ありませんでした。

「心配しないでも、君にもあげよう」。

いや、ええと、それは恐縮です。

「もう皮を剥いちゃったんだ。ほれ」。

ダグアウトの上には袋一杯のオレンジを持ったオジサンが座っており、皮を剥いていました。目の前で打撃練習が行われているというのにダグアウトでオレンジを絞る自分。こここ、この瞬間、だけは、自分が記者とは思えない、思ってはならない・・・

親切にして頂いて、本当にありがとうございます。

Tuesday, January 23, 2007

ファイナルウイーク

プエルトリコ最終週です。金曜のクラスは出席できずシカゴに帰るので、実質あと4日。はやーい。

今日は野球がない。よーしっ!

と車を走らせたのは実はデニーズでした(苦笑)。観光や買い物なんかよりも、目の前のスペイン語をどうにかマスターしたかったので。カルメン宅から車で1分。ネットもオッケイの24時間営業。プエルトリコはシカゴよりもワイヤレス環境が整っている気がしてとても助かりました。

今日から急にクラスメートが増えました。日本人の方もいらっしゃって、少し心強いです。ただ授業後、先生に呼び止められました。「あなたの方がレベルが上のようだから、クラスを2つに分けようと思う」。

ぇえ?少しは上達したのかなぁ。

そうだ、今日はそんな昼間の勉強の友を紹介しようと思っていたのでした。プエルトリコにはかわったチップスが沢山あります。ユッカチップスとキャッサバチップス。味はジャガイモに近いのですが、食感がよりドライだったりやや繊維が多かったりして楽しんでいます。






ますますやる気。

こんなにノートにいっぱい何かを書くのはシカゴの学生時代以来です。

Monday, January 22, 2007

オッサン。

この人には面と向かって「オッサン」と呼んで良いんじゃないだろうか。そしてこの人の言葉を日本語に直す場合、大阪弁に変換する必要があるんじゃないだろうか。

という“オッサン”がいます。こう勝手にネーミングさせて頂いた人はホワイトソックス、オジー・ギーエン監督に次いで2人目です。

アレシーボ・ウルブズのデータ係。いつも球場にいるので馴染みになり、冗談を言い合う仲にまで発展しました。

やれ相手チームと話していると「うちのチームを取材せんかい」、
やれ勧められたコーヒーを断ると「礼儀をしらんやっちゃ」、
やれ週末には帰ると言うと「カリビアン・シリーズを見ずに帰れると思うなよ」。

・・・うーるーさーいっちゅーねん。

英語を話していても、怒られます。時間があれば球場でもスペイン語を練習したいのはやまやまです。が、さすがに余裕がない仕事中に、しどろもどろ文章を組み立ててられんっちゅねん。なのに「スペイン語を話さんかい」といちいち邪魔しに来ます。いまは勘弁して下さい、と、言うのですが、

「ノー。エスパニヨール!」

・・・うっとうしいなぁ、もう。

しかし何故か憎めない。球場でこの人を確認すると心の中で「あ、おっさんだ」と思ってしまいます。この人が日本語を話せなくて良かったです。

今日は他の選手を待っている最中にかなり遠くから手招きされました。「っち、今度はなんやねん」とグラウンドの反対側まで歩いたら、ボールをくれました。



プエルトリコの友より。
がんばれ

おっさん、いいひとやねぇ。

Sunday, January 21, 2007

マール・カリベ

カリブ海を「マール・カリベ」と言います。

本日はウインター・リーグ、ファイナル初戦の日ですが、

ごめんなさい。観光します。

と、午前8時半に車を発進。サンファンはプエルトリコの北側にある街で、見える海は大西洋です。カリブ海に面しているのは島の南側なので、ポンセという街まで足を運びました。ホワイトソックスのハビエル・バスケス投手がここの出身です。FMをサルサ局に合わせ、ハイウェイ52を南へ一直線。いえーい、いえーい。カリブ海は絶対見に行きたかったんだよなー。カーナビによると目的地まで66マイル。私の運転のキャパ内でよかったです。

目的地は3つ。
1)カスティーヨ・セリャージェス
2)コーヒー工場、アシエンダ・ブエナ・ビスタ
3)カリブ海

制覇しました!!!!

ドン・クというブランドのラムがありますが、創業者Serrillasファミリーが住んでいたのがこの家。ポンセを一望できる丘の上に建っているいるため、地元ではカスティーヨ=お城と呼ばれてきたそうです。建物内の写真撮影は禁止。家の真ん中に噴水があり、キッチン、書斎、ダイニング・ルームまで「一度は住んでみたい」と思わせる魅力に溢れていました。いいなぁー。いいなぁー。なお、ポンセに住む人はここで結婚式を挙げるのがステータスだそうで、この日も結婚式の準備が行われていました。











そして、厳選されたアラビカ・コーヒーのみを栽培するアシエンダ・ブエナ・ビスタ。街の北西部にある山の中にあり、入り口を見つけるのに苦労し、予約していたツアーに5分遅刻。最初の博物館は逃しましたが、奇麗な森の小道を散策しながら歴史を語ってもらい充分楽しめました。コーヒーの木は直射日光に当てるよりやや陰に植えた方がいいそうで、背の高い木が茂る森の裾にコーヒーの木を沢山みました。収穫祭は2月頃だそうで、赤い実がついたら此の小道はますます奇麗なんだろうなぁ、とやや残念でしたが大満足。












食事休憩とダウンタウン散策を挟み最終目的地、ラ・グアンチャまで。カリブ海に面するエリアにボードウォークや小さい食堂が並んでいます。個人所有のボートデッキにもなっているようで、沢山の小型ボートもありました。水が澄んでます。








ビーチ砂浜に腰掛けるのにちょうどいい木が沢山植えられていて、そこに座ってしばしカリブ海を堪能。夕焼けを見ても良かったのですが、日が暮れる前に帰路につく方が無難だろうと、午後5時前にサンファンへ向かって車を走らせました。

ドンクも買えたし、欲しかったコーヒー・ミルも買えたし、気がついたら写真を100枚位以上撮っていたし。大満足でした。

Saturday, January 20, 2007

ビエホ・サンファン

実は昨日はケーキを2つ作りました。1つは学校へ。アドミニのお姉さんが「ホームメイド」はスペイン語で「エチョ・エン・カサ」だと教えてくれました。

昨日の試合でアレシーボ・ウルブズがカグアス・クリオロスを2−1で下し、ファイナルの2チームがウルブズとジャイアンツに決定しました。今日はオフ。そして私は、観光その2です。

サン・セバスチャン・フェスティバルが開催中とあり、オールド・サンファンまで再び足を運びました。ちなみに、スペイン語でオールド・サンファンは「ビエホ・サンファン」。渋滞するというので車を学校に残し、ラグワグワで約15分。最近の多量摂取カロリーを消費すべく(苦笑)散歩に励みました。





全部がカラフルで、見ているだけで楽しいです。タバコ専門店の前を通った時は、葉巻のいいにおいも。





自宅(推測)の屋根でパレードを待ってるお姉さんは、写真を撮る合図をするときちんとこちらを見てくれました。

帰り際、通りのジュエリーショップにもついでに寄り道。目立つ場所にブルーの宝石がフィーチャーされており「それはラリマー。ドミニカでしか採れないの」とお店のおばさまが教えてくれました。へぇ。値段も手頃だったので、せっかくだしと購入。カルメンに見せると「これはラリマーでもいい石」と褒めてくれました。思いがけない場所でカリブ海土産が手に入り、ちょっと嬉しいです。



あとは本物のカリブ海を見に行くのみだな。

Friday, January 19, 2007

BACARDI

学校に到着すると、アドミニのお姉さんがいいました:「今日の授業後、時間ある?バカルディに行きましょう」

語学学校というのは大抵週末などにツアーを組んでくれるものです。現在この学校には大人の生徒しかおらず、特にツアーを必要とする人もいなかったようですが、最も新米の私に気を使って下さった模様。私もバカルディのラム工場がサンファンにあるのは知ってて、カーナビにもアドレスをインプット済みです。ウインター・リーグは昨日、セミファイナルの1組に決着がついたところです。もう1組は明日私の行動範囲外のエリア、アレシーボで試合予定。ファイナルまで暫く時間が空くここ数日は授業後の時間を観光にあてようと思っていたところでした。ナイス。



単独行動の悲しい点は、一緒に酒を飲む相手がいないこと。さらにここまでのプエルトリコ・ライフは、学校/球場/取材会場/ホストファミリー宅を交互に往復するのみでした。そんな単独行動でも気兼ねなくお酒が飲めるツアーに参加せねばと思っていたのです。いえーい、いえーい。

バカルディのツアーは「無料&2ドリンク付き」という素晴らしい観光スポットです(おすすめ)。ガイドは英西いずれかを選択可能。勉強の為にスペイン語か、理解の為に英語か、迷った末英語ツアーに参加しました。

ツアーバス出発までに時間があり、早速1杯。ラムと言えば(私にとっては)Mojito (=モヒート)!です。本場の味は違うなぁ、と、とりあえず雰囲気で判断。だんだん楽しくなってきました。






ゴールド、シルバー、リザーブ、フレーバー付き・・・そんな様々な種類のラムの匂いを楽しめる樽が並んでいる部屋や、バカルディからビデオメールが送れる部屋など、趣向を凝らしていました。なにせ、広告がかっこいい。参りました。(ただし工場内は撮影禁止です、残念)。

しかし、工場の歴史や醸造の課程なんかよりも最も印象に残った説明がこれ:「ラムケーキを作るのなら、ゴールドを使うべきです」。


ケーキ・・・

最後のお土産ショップでリザーブとココナツフレーバーのボトルと共にゴールドのミニボトルも購入し、カルメン宅に戻る前にスーパーに立ち寄りました。

そして、夜中。

お礼を込めてカルメンへ。

ワンパターンですが、今回もガトー・ショコラ。ラムの香りが結構きいてます。

Thursday, January 18, 2007

UPR

Universidad de Puertro Rico。プエルトリコ大学のことです。

今日の私のクラスは課外授業。午後にラグワグワでUPRまででかけ、コミュニケーション学部の人にスペイン語で質問をするミッションを遂行しました。コミュニケーション学部は、いわばマスコミ学科。ペリオディスタとしてまぁ馴染みがあると言えばある場所ですし、先生とともにレファレンス室へ乗り込みました。



・・・おぉー、懐かしい雰囲気だ。シカゴの学校をちょっと思い出しました。

レファレンス室の先生に、名前、住所、年齢、誕生日から仕事内容、趣味、配偶者の有無、家族の性格まで、これまでに習った知識を駆使して”事情聴取(笑)”。初対面の外国人からプライベートな質問を根掘り葉掘り聞かれるなんて、あんまり気持いいものではないと思いますが、快く私の授業に協力して下さりました。ありがとうございます。

そして、ふと、用意してなかった質問までしてしまいました:ティエネス・ペリオディコ・ウニベルシダ?(=大学の新聞はありますか?)我が母校コロンビア・カレッジ・シカゴにも学校新聞があったので、そういや見てみたいかもなと聞いてみたら、あるある。



なんだか、なつかしいなぁ。私もよく原稿書いてたなぁ、コロンビア・クロニクル。

私はスポーツを取材しています。というと、逆に生徒のみなさんから質問責めにあいました。私に分かるようにシンプルなスペイン語で会話を続けれくれて、楽しいひとときが過ごせました。それに、自分も多少会話が続けられて、それも嬉しかったかもです。

Wednesday, January 17, 2007

マヨ・リーグ

「メジャー・リーグ」を英語で書くとMajor League。
これをスペイン語読みすると、マヨ・リーグ。

なんかかわいいです。

最初は「マヨリーグてなんじゃ?」と聞き流していたのですが、ははーん、「major」 かぁと理解。今日も球場で挨拶をするたびに「あー、マヨリーグ」って言われてました。要するに「あぁ、君はメジャーを取材しているのだね」という意味だったのでしょう。しかしマヨリーグてて・・・と、謎が解決した本日は終日、思い出しては笑ってました。「じゃじゃじゃ」に次ぐかわいらしさです。

ヒメネス氏を含め地元記者の方々ともすっかり打ち解けました。数名は世界バスケの取材で日本にも取材に行かれたとか。「レストランで食事の量が少なくておかわりした」が、全会一致の日本の印象。「うんうん」「そうそう」、と頷き合う皆さんですが、



・・・てゆーか、あなたたちが食べ過ぎ。しかも脂っこいものばっかり。球場で売られているファストフードは北米以上に食欲をなくします(苦笑)。



ホストマザーのカルメンしかり、学校の先生しかり。プエルトリコの人は北米人以上に食べてんじゃないかと疑うほどです。カルメンの食事に胃がついていかなくなった今日この頃。シカゴの台所にある蒸篭が非常に恋しいです。

Tuesday, January 16, 2007

マーティン・ルーサー・キングJr.・デイ

今日は祝日。学校もお休みです。

プエルトリコの南側にある街、ポンセまでカリブ海を見に行こうと思っていたのですが、祝日は美術館などが閉館している恐れがありパス。週末に仕事してばっかだったし、先週の授業をおさらいすべくスタバまで向かいました。運転にも徐々に慣れました。北米で買った北米人のためのガイドブックにすら「PRの運転は荒い」と諸注意が出ていましたが、ここまでの私の感想は:君たちも変わらないぞ、北米人。特にデトロイトとシカゴ、って感じです。

カーナビで「starbucks」と検索するなんて、どうかな、と思いましたが他にネットが使える場所を知らないので仕方ありません。でも、スタバがある場所は大抵「(そこそこ)おしゃれエリア」。今回はこのスタバ検索が功を奏し、思いがけない勉強場所を見つけました。


ビーチ!!

厳密にはビーチの端っこ。随分遠くにもっとにぎわっていそうなビーチが見えました。




こちら側は家族が1、2組いるぐらいで、木陰で読書をしている人と、ラグかなにかを敷いて昼寝をしている人のみ。今日はここで読書に励む事にしました。



って、読んでいる本は単語集や文法集なんですけど・・・