Saturday, July 29, 2006

Yadi made my day

ホワイトソックスをお休みし、明日までの4日間はカブス戦に来ていたカージナルスの田口壮選手の取材です。

そして今日は、カージナルスの23歳キャッチャー、ヤディ・モリーナにもインタビュー。

いいひとだったーーーー。
はなしはずんだーーー。
もうこれで1日幸せーーー。

ノリが合った会話が出来た日はホント1日ウキウキします。

本当はトレーニングとか対戦相手のビデオ見るとか、試合に集中したいだろうなぁー・・・とは分かっていますが、聞かねばならない質問は山のようにありました。気軽に応じてくれたヤディのおかげで会話が盛り上がりました。よかったです。

月刊スラッガーの取材でしたが、カブスのフアン・ピエールにも先日同じ企画の取材をしてました。ニックネームは頭文字をとってJPなので、以来「ハロー、JP」と声をかけています。今日挨拶に行くと相変わらずのまったり口調で「今日はトリプル(三塁打)を見せられるかなぁ〜」。なぜかタイミングよくJPのトリプルを見る機会が多く、その度に試合後の取材で「お気に入りプレー、おめでとう」と声をかけていたので、記憶に残ったようです。

本当に今日も4回二死満塁から走者一掃の三塁打。

試合後に覘くとちょうど立ち上がって帰る直前。クラブハウスにはほとんど誰も残っていなかったため、長居せず「ハーイ、JP」と声をかけたらニヤリとウインク。私も「オッス」の意味で敬礼だけしてクラブハウスを出ました。

なんか嬉しいです。こういうの。

Friday, July 28, 2006

イライライライライライラ・・・

「頑張りすぎないように」
「張りつめると折れてしまうよ」

など、が、私を良く知る優しい方々がよく言ってくれるアドバイス。英語でも言われます。Relax, Take it easy, Chill out・・・。どの国に住んでいても、周囲に与える印象は同じなのかと自分でもあきれます。ある程度長い間自分とつきあっているので、肝に銘じている、つもり、です。が、脳みそのどの部分をどう操作すれば、それが治るのか、方法がまだ分かっていない。ので、些細なことですぐ、

イライライライライライライラ・・・

よくない。

よくないよくない。

と、思うとまた、

イライライライライライライラ・・・

5年前まで、ラジオ番組のDJなどをやってました。例えばお昼どきの生放送。番組の最後になんか決め言葉があるといいなぁ、と考えた末、私の”締め”はDon't forget: keep smiling!でした。

人に言っておきながら、自分ができてないじゃないかぁ・・・。

5年前の自分は今よりも世間知らずでしたが、今の自分は5年前よりも人相が悪い。あんまり長い間こんな感じだったので「きっと今、自分は何らかの試練を乗り越えなければならんのだろう。根拠はないけど、なんとなく。にしては、キツい」という心境です。

いや、”でした”。

さすがに何かが見るに見かねたのでしょうか。昨晩は嬉しい電話が舞い込みました。今晩は嬉しいメールが届きました。やったぁー、と単純にも表情が緩みました。

「周囲に気を取られず、自分の事に集中しなさい」と何かに言われた気がしました。んっ!といろんな事を飲み込んで、せっかく届いたメッセージに従おうと思います。

Thursday, July 27, 2006

野球のち裁縫

内角球が右ももに。

今度は父ではなく、自分の話です。

・・・え?

・・・えぇ。

野球の練習をですね、してたんですよ。そしたら当たっちゃいました。あはは。

なので野球選手にあるようなのと同じ形のアザが自分の足にもあるという状況で(程度は随分違いますが)、これって体当たり取材?いや、取材はしてないから、ルポ?いや、状況説明をする必要もないので・・・なんだぁ?

単に遊んでいただけです。・・・いい大人なのに。

”死球”よりも「やっちゃった!」のは紫外線対策。午前中は雨が降っていたため、今日に限り日焼け止めを塗らなかった。これはアザよりイタい。悔やんでも悔やみきれません。顔がまっかっかです。いい大人なのに・・・。

泥まみれで帰宅すると、アパートでは2名のルーミー、ミュージシャンと美人が真剣に裁縫をしてました。

そういえばミュージシャンがしばらく日曜大工に励んでました。作ったのは「コーンホール」もしくは「コーントス」と呼ばれる競技の、台。傾斜の付いた1対の木製の大きな箱で、表面に1つ丸い穴があいています。ゲームはそこに豆袋を投げ入れて、いくつ入ったかを競うもの。トーナメントも行われているようです。図が出ていたので、サイトアドレスを紹介します。

http://www.playcornhole.org/how.shtml

で、この日2人は、その投げ入れる袋を縫っていたと。

帰るなり「ちょうど良かった。手伝って」と私も布と針を渡されました。以下、こんなやりとりが。

私:「そんじゃ、シャワー浴びてくるよ」
ミュージシャン:「5分で出てきてね、プリーズ」。「それからそっち!手を抜かなーい!」
美人:「・・・そろそろ、ワインでも買いにいこう、か、なぁー。2人も欲しいわよね」
ミュージシャン:「いらない。座って」
美人:「・・・ずっとこんな感じよ」

滅多に自宅にいない身としては、こういうのも楽しいもんです。全部手作りだと、遊ぶのも格別でしょう。近々野球とコーンホールのダブルヘッダー、なんて日も、あるのかもしれません。

Wednesday, July 26, 2006

行きはR&B、帰りは懐メロ

自宅から電車でUS・セルラー球場に行く場合、電車を2本使います。シカゴ・オヘア空港からダウンタウンまで北西ー南東に伸びる「ブルーライン」でダウンタウンへ。そしてミシガン湖沿いを南北に走る「レッドライン」に乗り換えて「Sox/35th」という駅で下車します。

このブルー/レッドの乗り換えポイントは2カ所。「ワシントン駅」とその2駅南の「ジャクソン駅」です。別にどっちで乗り換えても時間的には大差ありません。日本の用にキオスクも充実してなければ、駅そのものにも差がありません。でも、ちょっとした楽しみがあり、行きはレッドラインのジャクソン駅、帰りはブルーラインのワシントン駅で接続の電車を待つようにしています。この両ポイントですばらしい声の持ち主がパフォーマンスをしてくれるからです。

午後早い時間のレッドライン・ジャクソン駅で歌っている女性R&Bシンガーは「ミス・フロウ」という名前。歌の合間に「私の名前はミス・フロウ。よろしく」と宣伝しているので分かります。誰が地下鉄の駅でCDをならしているのだ?と思うほど、その声はプロ並です。随分前ですが、へぇー、ミス・フローって言うんだー、なんて思っていたらシカゴ・トリビューン紙のエンタメ欄で紹介されてました。

そして夜中のブルーライン・ジャクソン駅にはマイケル・ジョーダンのピンバッジつきのキャップをかぶったギタリストがいます。勝手に「Mr. MJ」と名付けました。夜中に電車に乗る人なんて大抵酔っぱらいか学生で、いずれにしても疲れています。Mr. MJは初代バハメンのボーカルのような涼しい声。自宅に戻る最後の足取りを軽くしてくれます。リクエストすればなんでも歌ってくれるのですが、お決まりは「マイ・ガール」。電車が近づいてくるとこの歌で締めるのが彼のお約束のようです。



学生の頃からこの2人には元気を貰っています。そう考えると彼らも随分長い間、同じ場所で歌っているんだなぁ。

シカゴの電車は日本のように分刻みで来てくれません。オンタイムの用事がある場合、接続に最大15分マージンをとって行動する必要がありますが、そんな待ち時間を楽しくしてくれる、ささやかな楽しみです。

Tuesday, July 18, 2006

やってもーた

洋服をまとめ買いしちゃいました。

アパート1階に入っている洋服屋がかわいいんです。オーナーの女性も階下に住んでてよく知っているし、挨拶程度に覗くつもりが、並んでいる洋服を片っ端から着まくる2時間に。帰りには大きな紙袋を下げて「バーイ!」と、ニコニコ手を振る自分のテンションに驚いたぐらいです。

メジャー取材を始めてからスカートとは絶縁状態です。1日中グラウンドやダグアウトをウロウロしているので、砂埃の中で小走りでき、込み合った会見で背後の記者にボールペンで線を引かれてもいい洋服、となると「ふわふわ」とか「ひらひら」とか(私の場合)NGです。

なのに、そんな洋服ばかりを買ってしまい「どこに着ていくねん」と自室で改めて腕組みです。

えーっと・・・

仕方がないのでうちでくるくる回ってみます。

Sunday, July 16, 2006

@NYC

約1年ぶりです。ヤンキース戦。ホワイトソックスとはリーグは同じですが地区が違うので、対戦は各球場で1カードずつ。なのでニューヨーク遠征は年に1度です。

シカゴでの学生時代にJ-WAVEのニューヨークスタジオで番組制作のお手伝いをしてたこともあり、馴染みがあります。その時はイースト・ビレッジに滞在していたので、今回も是が非でも立ち寄らねば!と、デーゲームの後SNYのケニーと一緒に繰り出しました。「アスター・プレース」駅で下車すると、足が勝手に進んでました。

なぁーつかしぃー。

ドイツ系ベーカリーも、日系スーパーも、インド人が経営するデリも、当たり前ですが全部同じ場所にあります。そうそう、こんな感じなんだよなぁー。

目指すはアルファベット・シティにあるビストロ「カシミヤ」。知り合いのおじさんちの側で、よく連れて行ってもらいました。チキンレバー・サラダが、絶品なんです。フレッシュグリーンやクリスピーオニオンの上に濃厚なソースに絡まったレバーが乗ってて・・・自分の思考回路にグーグルがあったら「イーストビレッジ」と叩いただけで「カシミヤのサラダ!」が一番に上がってきそうなほどです。どうしても、食べたかったんだー。

お店に入ると、おじさんにも再会!ペットのフレンチブルドッグも(名前はノリコ)も健在!。相変わらず、自分の指定席でワインを飲んでました。

日々変化するニューヨーク。でも、私が変わってほしくなかったものは全部残ってました。

Thursday, July 13, 2006

Comrade2

気付けば7月も半ば。ここ数日は何日経っても1日が終わってないような忙しさでした。

ホワイトソックス取材では先日、19イニング試合という記録的なマラソンゲームを経験し、ほぼ睡眠時間もとれないまま翌日早朝の便でピッツバーグへ。オールスターの取材で早朝から深夜までかけずり回ってるうちに3日が過ぎました。

そんな球宴で思いがけない再会がありました。

デレク・ジーターを囲む報道陣との”おしくらまんじゅう”中、隣に自分と同様、もみくちゃになりながらマイクを突きつける若手リポーターがいました。「っち、邪魔やなぁ」とガンでも飛ばそうと思ったら、よく知った顔。学生時代に学会で出会った仲間でした。

ジャーナリスト学会=コンベンションは、研究発表をするというタイプのものではなく、取材分野別のワークショップが行われたり、ベテラン記者やレポーターが学生や若手の指導をしたりするという感じの3日間ぐらいのイベントです。交流会の目的も多く、毎年楽しみにでかけてました。

学生の参加者はできるだけ経費を抑える為に、数名でホテルの1部屋をシェアするのが通例でした。コンベンション実行委員会が「シェアメイト募集」のメーリングリストも設置してくれます。初参加の会では男女合わせて6人で1部屋をシェア。そのメンバーが思いがけず意気投合し、以後毎年同じ顔ぶれで部屋を予約するというシステムが出来上がってました。彼はその仲間の1人です。

最初に会った時は、各自小さいテレビ局や新聞社でキャリアをスタートさせたばかり。「いつかニューヨークで一緒に仕事しようぜ!」と乾杯したこともありました。

*メディア業界に限らず、アメリカでは少しずつ大きな会社に転職する事でキャリアと年収を上げます。テレビアンカーの業界に関しては最初から「正社員」というような枠はなく、数年間の契約を何度も更新するのが普通。だから代理人がついていることも珍しくないし、ロスやニューヨークの看板アンカーになると数億円の年俸でも、珍しくなかったりします。

外国人である私はニューヨークでの再会は想像していませんでしたが、卒業後メジャー取材を始めてからは、仲間の住んでいる街に遠征に行く度に連絡を取ってました。でも、まさかホントに隣り合わせで取材する日が来るとは。

現在ニューヨーク・メッツが立ち上げたテレビ局「SNY」でテレビレポーターをしているケニーは私と同様、球宴は初取材。前回会った時はお互い「来年はなにやってるんだろー」と話した事を思い出し、「とりあえずいい仕事が見つかって、よかったよね」と言うと「オレも昔の会話を思い出した」とのこと。

残念ながらお互い取材に追われ、近況を話し合う時間はとれませんでしたが、私は明日から偶然ニューヨーク遠征。思いがけず”ニューヨークの再会”が実現しそうです。

Sunday, July 02, 2006

Big brothers' big brother

カブスファンが集まるバー「バーニーズ」。リグレー球場に近いバーとして知られるお店なのに、店内にはソックスロゴを来たファンが大勢。それも地元交流戦の楽しいところ、かな。ウエイトレスさんのTシャツにもうたわれています。



地元シカゴ・サンタイムス紙のベテラン記者が6月を持って定年退職なさるというので、我々はそのお祝いを兼ねてこのお店に来ました。時たまプレスボックスで顔を合わせるたびに気安く声をかけていましたが、全米野球記者協会の殿堂入りも果たした大御所。外国人である上に経験も浅い私なんかにもよく声をかけてくださり、メジャー昔話を沢山教えてもらいました。

・・・なんて腰低く書くのが滑稽になるぐらい、本人はものすごくフランク。今日もおもむろに財布からきれいな女性の写真を出して「これ、マイワイフ」。どこかのアクトレスかと思った、と伝えると、

「いやぁ、3回目にしてやっと、これぞという女性を見つけたんだよ」。

じいさ・・・いえ、”大先輩”が乾杯後にくれたアドバイスは「結婚の回数は少なければ少ないほどいい」だそうで。とりあえず受け止めました。

馴染みの現場に「来なくてよくなる」という状況って、その現場が好きであればあるほど寂しいことでしょう。来月からの予定を聞くと「とりあえず片付け。書類が散らかったまんまなんだ」と、ちょっと無理した笑いがみえました。きっとそれに今後1年はかかるだろうから、来月からものんびりしてられないね、というと「サンキュー」と返事が来ました。

普段私がbig brotherと慕っている地元記者達の兄貴分。他の記者達は「彼が現場にいた頃は、毎日酒とつまみには困らなかった」と口を揃えます。確かに飲むわ食うわ。一緒にいるだけで、楽しくなる人です。今日一緒に時間を過ごし、私も彼の現役時代にもうちょっとかぶっていたかったな、と思わされました。

Saturday, July 01, 2006

ててて、てぇへんだぁ!

リグレービルに事件がっ!

*Wrigleyvilleとはシカゴ・カブス本拠地「リグレー球場」周辺エリアです。スポーツバーやコメディ・シアターもあり、人気のエリアです。

この写真がそうです。これ、一大事です。



カブスファンは以前ブログでも紹介しましたが(Title: A one, a two, a three)、「シカゴの阪神」と言ってよし。チームへの愛は凄まじく、このリグレー球場周辺は通常「ゴー!カブス!」とばかりに窓という窓に"C"マークが掲げられてきました。しかし、このアパートには2階上に宿敵ホワイトソックスの旗が掲げられているっ!

昨年ワールドシリーズを制覇したホワイトソックスへの人気は確かに高まっており、遠征先にもソックスファンを大勢見かけるようになりました。でも、同じ地元のカブスファンはそれを喜んではいけないのです。たとえ借金20あっても、次から次へスター選手が故障しても、1945年以来ワールドシリーズに縁がなくても「ゴー!カブス!」とミラクルを期待しなければならないのです。この旗はそんなカブスファンへの裏切り行為。あまりのショッキングな事件にシャッターを押す手が震えました。

・・・と、いうのは、手ブレの苦しい言い訳ですが。

今日から3日間はリグレーでホワイトソックスとの地元交流戦。球場へ向かいながら発見し、ついシャッターを押しました。前回ホワイトソックスの本拠地、US・セルラー球場で行われた際は選手が4人退場する殴り合い乱闘がありましたが、今回はおとなしく試合が進み、初戦はソックスが先勝。9回裏2死で立ち上がったのはソックスファンの方が多かった気がします。

自宅から通っていながら、ここ数日は通勤先がいつもと逆方向。シカゴに来た1年目に住んでたエリアなので懐かしいです。電車で球場の目の前まで来れるのですが、徒歩距離を増やすべくバスで通っています。バスを降りて約7分の散歩中に見る景色にはいろんな思い出が詰っています。随分長い間住んでるなー、シカゴ。久しぶりに連絡したい友人を沢山思い出しました。